当たり前のこの事柄に,本当に大事な真理が隠されていると思う。
葉っぱは見えるが根っこは見えない。
目に見えている葉っぱは,目に見えない根っこに支えられている。
現実となって現れた様々な栄光や,人々から称賛される賞や記録は,
目に見えない当人たちの見えない努力や見えない心に支えられて現実となったもの。
オリンピックで金メダルをとった彼らを前に,多くの人がその陰での努力や苦悩に心を寄せ,感動する。
でも,目に見えて出てきたものが,悲惨なものであったときこそ,
目に見えない根っこの部分に隠された悲しみや恨み,
そのことに向き合わなければいけないと思う。
目に見えている葉っぱは,目に見えない根っこがもろければ,
目に見えるまで育たなかったかもしれない。
目に見えている“その人”を作るのは,目には見えないその人の“心”であって,
目には見えないその人の“子ども時代”だったりする。
教育は,“目には見えないもの”だと思う。
そんな,極めて人間的で複雑な営みを,
目に見える“テストの点数”や“評価”によって序列化することなんて到底できないはずなのに。
AKIUSCHOLĒで育まれるものは、
目には見えないです。